言葉の解像度
Resolution of Thought

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純度の高い領域

自分の解像度の高い言葉を保つには、自分がいくら丁寧に言葉を尽くしても噛み合わない相手に無理に分からせようとしない距離感が必要です。

言葉はどれだけ丁寧にしても必ず誤解が混ざる構造を持っているし、自分の世界の内部でだけ成立するものだからです。

翻訳による摩耗

絶対に噛み合わない相手に合わせて翻訳を重ねるほど、自分の思考の細かい輪郭が相手の認知の粗さに引きずられ、言葉の粒度や温度が濁っていく

全く伝わらない相手に時間をかけて説明し続ける行為そのものが、自分の内部の精度を外側に削らせるプロセスになってしまうのです。

構造の崩壊

もともと持っていた立体的な理解や実感の層が“伝わりやすさ”に寄せて変形してしまう。

結果として、解像度の高い言葉を支えていた内側の繊細な部分が摩耗し、言葉が自分のためのものではなく、相手に合わせるための簡略化に流れていってしまう。

身体の拒絶

人間の神経系は「努力しても報われない行為」に対しては一貫して“避ける”方向に学習するようにできています。

本来は自分の力を引き上げる行為が、身体の側では「疲れるもの」「危険なもの」というタグ付けに変わってしまうのです。

距離という防衛

だからこそ、距離を置くという判断が、自分の言葉の純度を守るうえで不可欠になります。

距離を置くというのは、理解力が低い人を切り捨てる意味ではなくて、最初から理解する気もなく、自分の枠で他者の言葉をねじ曲げる相手を避けるというだけの話です。

透明度の回復

ちゃんと噛み合う相手に話すときの感覚は軽いし、言葉を尽くすことは疲弊ではなく回復に近い。

それは自分の言葉の純度と思考の透明度を守るための最低限の防衛であり、自分の身体の学習そのものを守るための必須条件なのです。